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神戸地方裁判所 昭和33年(ワ)306号 判決

第三〇六号事件原告 中田梅野 外一〇名

第一一七号事件原告 国

第三〇六号事件被告・第一一七号事件被告 日本水産株式会社

第一一七号事件被告 村上竹夫 外一名

主文

第一、昭和三三年(ワ)第三〇六号事件について。

被告は原告中田梅野に対し金一九三万八、〇七七円、同中田朝子、同中田明二、同中田節子、同中田治郎、同中田末吉、同中田梅夫、同笹井美乃江に対し各金一二万一一二九円、同中田晶子、同中田操、同中田修子に対し各金四万〇、三七六円並びに右各金員に対する昭和三二年一〇月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らその余の請求は棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を原告ら、その余は被告の負担とする。

この判決は、原告中田梅野は金五〇万円、同中田朝子、同中田明二、同中田節子、同中田治郎、同中田末吉、同中田梅夫、同笹井美乃江は各金三万円、その余の原告らは各金一万円の担保を供するとき、第一項に限り、仮りに執行することができる。

第二、昭和三五年(ワ)第一一七号事件について。

被告らは原告に対し、各自金三万一、九九九円及びこれに対する昭和三二年一二月一二日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求は棄却する。

訴訟費用は一〇分し、その一を被告ら、その余は原告の負担にする。

事実

第一、当事者の申立。

一、昭和三三年(ワ)第三〇六号事件(以下便宜上甲事件という。)原告ら。

「被告は原告中田梅野に対し、金二八一万一、一二六円、同中田明二、同中田治郎、同中田末吉、中田梅夫、同中田朝子、同中田節子、同笹井美乃江に対し、各金一七万五、六九五円、同中田晶子、同中田操、同中田修子に対し、各金五万八、五六五円及び右各金員に対する昭和三二年一〇月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、昭和三五年(ワ)第一一七号(以下便宜上乙事件という。)事件原告。

「被告らは原告に対し、各自金五六万五、三一九円及びこれに対する昭和三二年一二月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決を求める。

三、被告ら。

「甲事件原告ら及び乙事件原告の請求は何れも棄却する。

訴訟費用は甲事件原告ら、乙事件原告の各負担とする。」

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、甲事件

(一)、被告日本水産株式会社(以下単に被告会社という。)は、航海業、水産業を営むものであり、機船宮島丸(九、五五七総トン)の所有者である。

一方、被告村上竹夫、同魚谷孝造は昭和三二年一〇月六日当時被告会社に雇傭され、右宮島丸に乗船し、その業務である漁獲物冷凍処理作業、検数等の船内作業を担当し、必要に応じ電気ウインチの操作をしていた同船事業部に属する船員であつた。

(二)、亡中田修身は訴外東亜船舶清掃有限会社(以下単に東亜清掃という。)の清掃夫として労務に従事していたものであるが、右宮島丸が神戸港第一突堤東側E上屋岸壁に繋留中であつた昭和三二年一〇月九日午後零時二五分頃、同船四番艙口の左舷側甲板上で残飯清掃作業に従事していたところ、被告村上、同魚谷は同船事業部作業員兼給仕である訴外大黒文嘉の依頼により、同船四番船艙附近から船員の私物、被告会社書類包計六個を前記岸壁に降ろすため、被告村上は左舷ウインチに、同魚谷は右舷ウインチにつき、共同してデリツクを操作し荷降ろし作業にかかつたが、かかる場合ウインチの操縦者としては、デツキマンをたて、その合図に従い、かつ、甲板上を注視して、つり上げた荷物により甲板上の人体に危害を加えないよう万全の措置を講ずべき注意義務があるに拘らず、これらの措置を怠り、漫然と前記荷物を岸壁に移動させようとした過失により、甲板上で作業中の修身に、その背後から右荷物を接触させ、同人を岸壁、更に同船と岸壁間の海中に落下せしめ、死に至らせたものである。

(三)、右修身の死亡は、前記宮島丸の船員であつた被告村上、同魚谷がその職務を行うにあたり、惹起されたものであるから船舶所有者である被告会社は、民法第七一五条第一項の特別規定である商法第六九〇条第一項により、右事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

(四)、而して、右損害の内容は次のとおりである。

1 修身の得べかりし利益の喪失

修身は、昭和一一年三月一一日に出生し、事故当時の年令は二一年七月、昭和三一年夏頃から訴外東亜清掃等の清掃夫等として就労し、一カ月平均金二万四、〇〇〇円の収入を得ていたものであり、同人の一カ月当りの生活費金六、〇〇〇円を控除した残額は、金一万八、〇〇〇円となるところ、厚生省発表第九回生命表によれば、同人は右事故以後四四、八五年生存可能であり、その間少くとも右同額の収入はあつた筈であるから、これをホフマン式計算法により、事故当時における一時払額に換算すると、金二九九万〇、七六九円となる。

2 両親の慰藉料

修身の父で当時存命中の亡中田梅吉及び母である原告中田梅野は、その最愛の息子を年若くして惨死させられ、悲嘆にくれていたものであり、その精神的打撃は甚大である。その慰藉料は各金六一万二、九六〇円が相当である。

(五)、修身には妻子なく、両親である亡梅吉及び原告梅野のみがその相続人であつたので、修身の得べかりし利益の喪失による損害は両人が二分の一ずつ相続により取得した。ところが、昭和三九年六月四日梅吉は死亡したので、同人が右相続により取得した被告会社に対する損害賠償請求権及び同人固有の慰藉料請求権は妻である原告梅野がそれらの三分の一を、残り三分の二をその子である中田誠二及び原告中田梅夫、中田明二、中田治郎、中田末吉、中田朝子、笹井美乃江、中田節子の八名で相続すべきところ、二男誠二は昭和三六年六月一三日死亡しているのでその子である原告中田晶子、同操、同修子が右誠二相続分の三分の一ずつ、すなわち梅吉死亡による相続財産の各三六分の一を、右四名を除き、梅吉の子である他の原告らは各一二分の一を相続により取得した。

(六)、右の割合により計算した各原告の被告会社に対し、請求し得べき金額は前記「当事者の申立」の項に記載のとおりである。故に右各金員及びこれらに対する修身の死亡事故発生後である昭和三二年一〇月一〇日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、乙事件

(一)、甲事件請求原因事実(一)、(二)、(三)と同一。

そして、被告村上、同魚谷はその過失により修身を死亡させたものであるから、民法第七〇九条により、右事故により発生した損害を賠償すべき責任がある。

(二)、ところで、原告は昭和三二年一一月一一日労働者災害補償保険法(以下労災保険法という。)第一二条第一項第四号、第五号、第一五条第一項、第二項の規定に従い、修身の内縁の妻である訴外長谷川よね子に対し、(1) 、遺族補償費金五三万三、三二〇円、(2) 、葬祭料金三万一、九九九円(以下(1) (2) を一括して労災保険金という。)合計金五六万五、三一九円の保険給付をなした。

右金額は労働基準法第一二条第七項、同条同項にもとずく昭和二二年九月一日労働省告示第一号の規定により算出した修身の一日の平均賃金五五三円三二銭を基礎としたものである。そして、右平均賃金は、修身の本件事故発生日以前三カ月間の就労中、その賃金額の確認し得る訴外東亜清掃での九日間の就労、その賃金合計金八、〇〇〇円を算出の根拠としたものである。

(三)、そこで原告は、労災保険法第二〇条第一項により訴外長谷川が被告ら各自に対し有していた損害賠償請求権のうち、原告が同人に給付した労災保険金の限度で同人に代位して、その賠償を求める権利を取得したわけであるが、同人は被告らに対し、次のとおり合計金一八一万一、五三四円の損害賠償を請求することができる。

1、扶養請求権の侵害

訴外長谷川は、本件事故発生日まで修身の内縁の妻として同居し、修身より扶養を受けていたが、右事故のためその扶養請求権を侵害され、金一七七万九、五三五円の損害を蒙つた。右金額算出の根拠は次のとおりである。

昭和三二年総理府統計局の家計調査報告により算出した神戸市における一人当りの年間平均生計費は、金七万七、六三一円。

修身は前述のとおり一日平均賃金五五三円三二銭を得ていたから、その年間収入は金二〇万一、九六一円。

修身には他に被扶養者はないから、訴外長谷川は、少くとも右年間収入から修身自身の生計費を除外した金額の範囲内である前記平均生計費と同額の年間被扶養利益を有していた。

そして、本件事故発生当時、修身は二一才七月、訴外長谷川は一九才九月であつたので、前記生命表によれば、修身は少くとも四四年、訴外長谷川は四九年の余命をもち、同人は修身により少くとも四四年間右同額の扶養を受けられる筈であつた。そこで、これをホフマン式計算により中間利息年五分を差引いて事故当時における一時払額に換算すると前記金額となる。

なお訴外長谷川が、稼働して幾何かの収入を得ていたとしても、一般の親族間の場合と異り、夫婦(内縁も含む)間の扶養請求権はそれにより影響を受けることなく、当然に存在するものである。そして、妻が婚姻後働き得る期間は極めて短く、将来長期間にわたる被扶養利益の算定上、考慮すべきではない。

2、葬祭料 前記給付額と同額。

(四)、よつて原告は被告ら各自に対し、原告が訴外長谷川に給付した労災保険金相当額及びこれに対する保険給付の翌日である昭和三二年一二月一二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告らの答弁及び主張

一、甲事件について

(一)、請求原因事実(一)のうち、被告会社が宮島丸を所有すること、被告村上、同魚谷が本件事故発生前、同船で漁獲物冷凍処理作業、検数の業務に従事する同船事業部員であつたことは認めるが、他は否認する。

同(二)のうち、訴外東亜清掃に雇われ、清掃作業に従事中の修身が原告ら主張の日時、場所において、被告村上、同魚谷の操縦するウインチの荷物に触れ、海中に落下して死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。

(三)、(四)、(五)のうち、修身の年令、原告らの身分、相続関係は認めるが、その余は全て争う。

(二)、被告村上、同魚谷並びに訴外大黒は何れもいわゆる季節労務者であり、漁期を終り帰港次第、被告会社との雇傭関係は終了するものである。現に本件事故当日の午前中に船員法に規定する右両被告の雇止手続を終了し、これにより両被告と被告会社間の雇傭関係は完全に終了していた。従つて、本件事件発生当時、右両被告は被告会社の従業員でなく、両被告の行為は純然たる私的行為である。

(三)、本件事故発生当時、積載貨物の陸揚作業は、訴外日本運輸株式会社に請負わせておつたもので、かかる場合、荷揚げに必要とされるウインチ等の設備の管理権は、船長及び船舶所有者の手を離れ、全て請負業者に委ねられるものである。従つて、本件事故の発生につき、被告会社には何らの責任もない。

(四)、商法第六九〇条にいう船員とは、船舶の運航に必要な乗組員を指称するものであり、仮りに、被告村上、同魚谷と被告会社間に雇傭関係が存在していたとしても、両被告は船舶の運行に関係のない、船内における漁獲物の加工、検数作業に従事する労務者であるから、同条にいう「船員」ではない。

(五)、原告らの主張する修身の得べかりし収入額は過大に失する。同人はその死亡前三カ月間にわずか九日間しか稼働せず、とうてい原告主張額の収入を得ることはできない。そして、そればかりでなく、修身の従事していた船内労務は老令者には堪ええない危険があり、かつ体力を要するものであるのに、原告らは修身が一生右の如き労務に従事し得るものとして、その損害額を算定しているのは甚だしく失当である。

二、乙事件について

(一)、請求原因事実(一)のうち、甲事件と共通の事実につき、前記甲事件に関する答弁及び主張(一)ないし(四)を援用し、その余は争う。

同(二)のうち、訴外長谷川が原告主張の日に、その主張の金員を受領したことは認めるが、同人が修身の内縁の妻であるとの点は否認する。また保険金額算出方法は不当であるので、これを争う。

同(三)、(四)は全て争う。

(二)、労災保険法施行規則第一六条第一項に規定する「婚姻の届出をしないが、労働者の死亡当時、事実上婚姻と同様の関係にあつた者」とは、社会一般から被災労働者と夫婦共同生活を営んでいると認められるような実質を有している者でなければならないのに拘らず、訴外長谷川は修身との間に一時的な肉体関係をもつたとしても、同人と同棲していた事実もなく、また仮りに同棲関係があつたとしても、それは一時的なものであり、右規則に規定する受給権者に当らない。

(三)、仮りに訴外長谷川が前記保険金の受給権者であるとしても、扶養請求権の侵害はない。すなわち、修身はその死亡前三カ月間にわずか九日間しか就労せず、とうてい妻を養うような能力を有していなかつたものであり、訴外長谷川は当時ゴム工場に勤務し、自己の勤労によりその生計を維持していたものである。訴外長谷川が扶養請求権を侵害されたといい得るためには、修身が具体的に同人を扶養し得る状態にあり、同人が具体的に扶養を受けねばならぬ状態にあるときに、これを受けることができない事態が発生せしめられることが必要である。

(四)、もし、訴外長谷川が本件事故により扶養請求権の侵害を受けたとしても、原告の損害額算定は次の事由により全く不当である。すなわち、前記甲事件請求原因事実に対する答弁及び主張(五)に述べた事由により、修身に原告主張の如き平均賃金額の継続的収入があつたものとは考えられない。そのうえ、訴外長谷川の扶養請求権は、同人自身の勤労による収入をその生活費にあて、なお不足ある場合にのみ発生するものである。

第四、被告らの抗弁

一、甲事件について

(一)、(示談解決)被告会社は、昭和三二年一〇月一〇日、修身の葬儀に際し、会社及び宮島丸の職員が列席し、香典金一万円を、更に翌一一日、弔慰金名義をもつて金一〇万円を亡中田梅吉、原告中田梅野に交付したところ、両人は本件事故に関しては、以後被告会社に対し一切の請求をしない旨納得のうえ、受領した。従つて、本件事故に関し、被告会社に帰責事由があつたとしても、原告らは何ら請求権を有しない。

なお、右金額は示談解決金としては、多少過少であるかのようにも考えられるが、これは両人らに労災保険金が給付されることを考慮したためであり、このことを併せ考えれば妥当な金額というべきである。

(二)、(労災保険金の給付)

1、(1) 、訴外長谷川は、昭和三二年一二月一一日、国庫から修身の労災保険金五六万五、三一九円の支給を受けている。右金員は本件事故による一切の損害を填補するものであるから、原告らの被告会社に対する損害賠償請求権は消滅している。

(2) 、仮りに、一切の損害賠償請求権は消滅していないとしても、右給付金額の範囲で消滅している。

2、(1) 、もし、訴外長谷川に対する労災保険給付によつては、原告らの被告会社に対する損害賠償請求権は何ら影響を受けないとしても、右労災保険金は亡中田梅吉、原告中田梅野の両名が訴外長谷川に替つて受領しているから、右1(1) 、(2) と同様の法律効果が認めらるべきである。

(2) 、仮りに、右労災保険金全額を右両人が取得していないとしても、同人らは金一〇万円を訴外長谷川に交付し、残額金四六万五、三一九円を現実に取得しているから、少くとも右金額の範囲で被告会社に対する損害賠償請求権は消滅した。

(三)、(過失相殺)船内において、ウインチを操作する場合は、特有な高音を伴う、従つてその近辺にいる者は、当然その操作に気付き、難をさけることができる筈である。修身がこれに気付かなかつたことは、船内作業に従事する者として通常なすべき注意義務を怠つたからにほかならない。よつて、損害賠償額の算定にあたつては、右修身の過失を斟酌すべきである。

二、乙事件について

(一)、(訴外長谷川の身分変動)仮りに、訴外長谷川が労災保険金の受給権者であり、かつ、被告らに対し本件事故による損害賠償請求権を有する者であつたとしても、同人は昭和三六年三月八日以来、訴外大佐田裕己と同居し、同年一二月五日婚姻の届出をして同人の扶養を受けている。従つて、これにより修身から扶養を受くべき状態は解消したから被告らに対する扶養請求権の侵害を原因とする損害賠償請求権を有せず、原告の求償権も存在しない。

(二)、甲事件に関する抗弁(三)を援用する。

第五、抗弁事実の認否

一、甲事件の抗弁につき

修身の葬儀に際し、被告会社職員が列席したこと、被告会社主張の金員の授受のあつたことは全て認める。但し、その趣旨は何れも否認する。修身に過失があつたとの点は否認する。本件事故の原因となつたウインチは電動ウインチであり、殆んど音響を発しない。

二、乙事件の抗弁につき

訴外長谷川の身分関係は認めるが、被告ら主張の趣旨は否認する。不法行為者が第三者の扶助により利益を受ける理由はなく、また、不法行為による損害額の算定にあたり、その後の事情は原則として考慮すべきではない。

過失相殺の抗弁については、甲事件原告らの認否を援用する。

第六、証拠関係〈省略〉

理由

第一、両事件共通の請求原因について、

一、中田修身の死亡とその原因

中田修身が原告ら主張の日時、場所において、訴外東亜清掃に雇われて、船内清掃作業に従事中、被告村上竹夫、同魚谷孝造の操縦するウインチの荷物に接触し、海中に落下して死亡したことは当事者間に争いない。そして、成立に争いのない甲第二四、第二五、第二八、第二九号証並びに被告村上竹夫、同魚谷孝造各本人尋問の結果によれば、ウインチ操縦にあたつての原告ら主張の注意義務の存在と右両被告が本件事故に際し、その注意義務を怠り、デツキマンをたてず、かつ巻揚荷物の移動径路等を注視せずにウインチを操作したことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうとすると本件事故は右両被告の過失により惹起されたものであるから、両被告は民法第七〇九条により不法行為責任を負わざるをえない。

ところで、被告らは右事故にあたり、修身がウインチの操縦音に気付かなかつた点に過失ありと主張し、過失相殺の抗弁を提出しているので、右過失の有無につき便宜上ここで検討することとする。証人佐藤芳三(但し、後記措信しない部分を除く。)同横内利弘、同岩崎清の各証言を綜合すると、宮島丸備付のウインチは電動ウインチであり、電動ウインチは一般に、通常のウインチのような高音を発しないところ、本件事故の原因となつたウインチの中でも音響の少いものであり、微かな音を発するに過ぎないものであること、そのために修身のごく近くで背中合せに清掃作業に従事中の前記横内も修身がウインチに吊上げられた荷物に衝突し、悲鳴を発するまでその操作に気付かなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、その他の修身の過失を推認すべき的確な証拠は何もない。

二、被告会社の責任

原告らは、被告会社は商法第六九〇条第一項の規定により、本件事故による損害を賠償すべき責任があると主張する。同条同項の規定は、船舶所有者は船長が法定の権限内においてなした法律行為及び船長その他の船員がその職務を行うに当り故意過失により他人に加えた損害につき、無過失責任を負い、ただ船舶所有者に過失のない場合には一定の海産を債権者に委付してその責任を免れることができるが(無過失有限責任)船主に過失のある場合には無限責任を負うべきことを定めたものと解せられる。よつてこの規定は、広く被用者の行為につき使用者の責任を認めた民法第七一五条第一項と根本的には同趣旨であるが、船舶所有者は無過失を立証しても委付による免責を得るほかはその責を免れ得ないことを定める点で右民法の特別規定をなすものと考えられるのである。そこで、以下被告会社が右規定による無過失損害賠償責任を負うか否かを検討することとする。

(一)、被告会社は「船舶」所有者か。

被告会社が宮島丸(総屯数九五五七屯)を所有することは当事者間に争いない。ところで、右商法の規定による「船舶」とは、「商行為をなす目的をもつて航海の用に供するもの」(同法第六八四条第一項)を指称するが、右「商行為」にはいわゆる「附属的商行為」すなわち、「商人がその営業のためにする行為」(同法第五〇三条第一項)が含まれる。しかるところ、被告会社の営業に関する原告らの主張については被告らは明らかにこれを争わないで自白したものとみなす。そして、被告会社が営利を目的とする社団であり、商法第二編の規定により設立された株式会社であることは本件記録上明らかであるから、被告会社は「商人」であり、弁論の全趣旨によれば、宮島丸は被告会社の営業である水産業のために航海の用に供せられていることが明らかなので、同船は商法上の「船舶」である。

(二)、被告村上、同魚谷と被告会社との関係

両被告が本件事故発生前に被告会社に雇われ、宮島丸に乗船し主として漁獲物冷凍処理作業に従事していたことは当事者間に争いない。而して被告らは本件事故発生当日の午前中に船員法に規定する右両被告の雇止手続を完了し、それにより被告会社と両被告との雇傭関係は終了したと主張する。弁論の全趣旨によれば、右「雇止手続」とは船員法第三七条に定める雇入契約の終了に伴う「公認」をいうものであること明らかであるが雇入契約成立、終了等の「公認」とは、船内労務の特殊性に鑑み労務者の保護統制の見地から行政上の監督のためになされるものであること同法第三八条の規定に照し明らかである。従つて右「公認」は私法上の雇入契約の効力の要件をなすものではなく、ただ公認された事項については通常その対象となつた実体関係が推定されるに過ぎない。

ところで、これを本件についてみるに、成立に争いのない乙第一九号証及び証人佐藤芳三、同大黒文嘉の各証言によれば本件事故当日である昭和三二年一〇月九日午前中に右大黒が同人及び両被告を含む労務者の雇入契約の終了に伴う公認を申請するため、神戸海運局に赴き、同局において同日、その公認をなしたことが認められ、(但し公認の時刻は不明である。)右認定に反する証拠はない。そして右佐藤の証言及び被告村上、同魚谷各本人尋問の結果によれば、大黒が右公認申請に赴いた同日午前中は、両被告共、右佐藤の指揮に従い漁獲物の検数作業に従事しており、被告村上においては、同日午後も引続き右作業に従事する予定であつたことが認められる。

ところで、「公認」の本来の性格からすれば、まず雇入契約の解除が事前にあり、事後にその公認申請がなされる筈である。然るに本件の場合は、雇入契約存続中になさるべき作業と同一の作業に両被告が従事中に、その終了の公認申請がなされているわけである。そこで、これを合理的に理解しようとすれば、両被告が作業を終え退船するときに雇入契約が終了することを予定し、公認申請をなしたものとみなさざるをえない。雇入契約の終了時期を作業の終了と同一時と考えることもできないではないが、それは雇入契約の実質が乗船労務に服することを内容とする契約であることを看過するものといえよう。本件事故発生時は両被告共なお宮島丸に乗船中であつたわけであるから、被告会社の両被告に対する私法上の雇傭関係はいまだ終了していなかつたものと認めるべきである。

(三)、被告村上、同魚谷は「船員」か。

右に述べたところから明らかなように、右両被告はその雇入契約に行政官庁の公認を要するものであり、船員法上の船員であることは否定しえない。しかし、この意味における船員を、商法の指称する「船員」と必ずしも同一に解すべきでないことは両法の性格から考えて当然である。そこで商法第六九〇条第一項の規定する「船員」の意義を検討するにあたり、まず右法条に定める船舶所有者の有限責任制度の根拠を考えるに、それは主として海上企業の特殊性すなわち、それには他の企業に比較して多くの危険が伴うと共に、海上事故による損害が巨額にのぼる虞れが多いこと、並びにそのようなことから海上企業が衰退することを防止すること、つまり窮極的には海上企業保護の国策上の必要に出でるものといえよう。

而して、海上企業を衰退に導くような損害を発生せしめる行為は、主として船舶の運行によるものであること明らかであり、この意味において右法条の「船員」は被告ら主張のように、直接船舶の運行に必要な乗組員を指称するものと考える余地もないではない。しかしながら、弁論の全趣旨によれば本件の宮島丸は漁獲区域に出漁し漁獲物を加工貯蔵して帰国する水産加工船であることが認められるから、本船の運航と水産加工は不可分一体の関係にあるものというべきである。

従つてその船員が或は運航の業務に従事し或は水産加工の業務に従事するといえども、船舶所有者であり企業主である被告会社の立場からすれば一つの企業目的のために統轄された船舶従業員である。しかして商法第六九〇条の前記立法趣旨(海上企業の保護と使用者責任)に鑑みれば、右法条にいう船員を船舶の運航業務に従事する船員に限定すべき理由はないものというべく、また右の如く限定すべき文理解釈上の根拠もない。従つて右法条にいう「船員」とは、広く船舶に乗組んで、船舶内の労務に従事する者全てと解すべきであり、その労務の種類を問うべきではないと考える。

右両被告は、宮島丸に乗組んで漁獲物冷凍処理作業等に従事していたことは当事者間に争いないから、両被告は右法条にいう「船員」であると認めざるをえない。

(四)、被告村上、同魚谷のウインチ操縦行為の性格。

本件事故の原因である右両被告のウインチ操縦行為は、前記法条にいう「職務を行なうにあたり」なされたものであろうか。

右法条が民法の特別規定であること、そして特別規定がおかれている目的は船舶所有者の無過失責任を認めると共に、有限責任の特典を認める点にあることからして、「職務を行なうにあたり」は、民法第七一五条第一項の「事業の執行につき」と統一的に考れるべきであり、これと特に異つて解すべき根拠はない。そこで、「職務を行なうにあたり」といいうるためには、全体としての船務、すなわち本来の意味の船務及びそれと適当な牽連関係をもつ作業に属し、かつ、当該船員の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、船舶の使用目的等から考え、それが右船員の職務行為の範囲内に属するものと認められれば必要かつ充分である。

これを本件につき考えてみるに、成立に争いのない甲第二〇、第二一、第二五号証、丙第二ないし第四号証、被告村上本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三五号証の二、並びに証人大黒文嘉、同佐藤芳三の各証言及び被告村上同魚谷各本人尋問の結果を綜合すると、被告村上、同魚谷同様出漁期に限り雇入れられ、宮島丸に乗船し、主として船内の雑用に従事していた右大黒が、被告会社の正社員である右佐藤に本件事故の二日前、同船の事業経過報告等被告会社本社あての書類(重量約二・五貫)の発送を依頼されていたので、それを他の乗組員から依頼された身廻り品等五個と共に昼休み中の被告村上に陸揚げするよう要請したところ同被告は同僚の被告魚谷の助力を求め、右荷物を陸揚げすべく共同してウインチを操作し本件事故を惹起したものであること、同船においては、ウインチの操作をする特別な職種があるわけでなく、主として甲板員がそれにあたるが、一部未熟者を除いては、両被告を含みその操作を禁ぜられることはなく必要に応じ資材の積みおろし等に使用していたもので、両被告も過去、同船または被告会社の他の船舶でそのような作業に従事した経験があることが認められ、右認定に反する証人佐藤の証言部分は措信しがたい。而して、前述のとおり被告会社は水産業を営むものであり、宮島丸はその用に供されるものであるから、出漁中の事業経過報告等の本社あて発送は同船に課せられた本来の目的、少くともそれと必然的関連を有する行為であり、乗組員の身廻り品の積みおろしも出漁に伴い当然必要とされる事項である。そして、両被告のウインチ操作も特に禁ぜられていたわけではなく、少くとも黙認されていたのであるから、本件事故原因たるウインチ操作も両被告の職務行為と解しうる。たとえそれが内部的な職務分担の定めにより両被告の職務に属さなかつたとしても、外形的客観的に観察すれば右のように解さざるをえない。本件事故が昼休み中に発生したか否かは右の見地からして結論を左右するものではない。

なお、被告らは本件事故発生当時にウインチは荷役業者である訴外日本運輸株式会社の管理下にあり、被告会社または船長の手を離れていたので、ウインチ操作による事故には被告会社の責任はないと主張するが、船舶内の設備が一荷役業者の完全な答理に移るという異常な事態を認めるべき証拠はなく、かえつて前記証人佐藤、同村山東一郎の各証言によればそれらは依然として船長の管理下にあることが認められるので、右被告らの主張は採用の限りでない。

以上認定したところによれば、被告会社は商法第六九〇条第一項により、本件事故による損害賠償責任を負うものと解さざるを得ない。

第二、甲事件について。

一、損害の発生。

(一)、修身の得べかりし利益。

証人阪部貞夫の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第一一号証の一ないし七、同第一二号証の一ないし一八及び右証人阪部(第一、二回)、同横内利弘、同岩崎清、同中田修三の各証言を綜合すると、修身は死亡前、主として訴外東亜清掃、同木下商店等船内作業を専門とする業者に雇われ、船内清掃等の日雇労務に服していたこと、東亜清掃においては日給七〇〇円ないし八〇〇円、夜間就業の場合は平均一、五〇〇円程度、木下商店においては日給五〇〇円ないし五五〇円、夜間就業の場合は八〇〇円程度の賃金の支払を受けていたこと、修身は木下商店において月一五日位、その他東亜清掃に相当日数就労していたこと、東亜、木下商店以外で就労することもあつたこと、昼夜通しの労務に服することもあつたこと、前記横内、岩崎と共に就労する日が多く、従つて就労日数もほぼ同人らと同様であつたこと、同人らの収入は当時月平均二万四、〇〇〇円から二万五、〇〇〇円程度であつたこと、修身が東亜清掃で従事していた清掃作業は壮年者には肉体的に適さないこと、木下商店には種々な作業があるが、東亜清掃におけるような清掃作業は請負つていなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上のような諸事実を併せ考えると、修身も死亡当時は、横内、岩崎と同程度すなわち、少くも月平均金二万四、〇〇〇円の収入をえていたものと推認される。しかし、経験則上肉体の衰えが認められる満四〇年以後は東亜清掃において従事していたような作業には従事できないものと推認されるので、多少収入が減少するものと考えられる。そこで、それ以後の収入につき、考察することとしよう。

右に認定したとおり、木下商店における作業は種々あり、特に壮年者以上に適さないものと認むべき証拠はないから、修身は満四〇年を超えた後も、少くとも木下商店における当時の日給最低額五〇〇円の収入はあげえた筈である。また証人臼井雅蔵の証言(但し、後記認定に反する部分は措信しない。)によれば、当時日雇労務者の仕事は大体において充足されていたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、修身は経験則上通常人の稼働日数と認められる月平均二五日は就労しうるものと推定される。そして、右木下商店における賃金額が特に高いものと認めるべき証拠はないから、他に稼働した場合も右と同額程度の収入はあるものと推認できる。そうすると、修身は満四〇年を超えた後は夜間作業等に従事しないものとしても、少くも月平均金一万二、五〇〇円の収入をあげえた筈である。

而して、修身は死亡当時満二一年七月であつたことは当事者間に争いなく、厚生省発表第九回生命表によると修身はそれ以後四四・八五年生存しうることが推定できる。そして、成立に争いのない丙第一〇号証によると、昭和三二年当時の神戸市における一人一カ月当りの平均生計費は金六、四六九円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。従つて、修身の得たであろう収入から、同人の生計費を控除して残額、すなわち満四〇年までは一カ月金一万七、五三一円、それ以後死亡までは一カ月金六、〇三一円が同人の得べかりし純利益である。そこで、これをホフマン式計算法により事故発生時の一時払額に換算すると、金二六〇万七、一一七円となる。(算定についての詳細は別紙計算表〈省略〉参照)これが修身の得べかり利益の総額であり、同人は本件事故により右金額の損害を蒙つたことになる。

(二)、亡中田梅吉、原告中田梅野固有の損害=慰藉料

両人が修身の死亡によつて精神上の苦痛を蒙つたことは経験則上明らかである。

成立に争いのない甲第四二ないし第四六号証、乙第八、第一七号証(乙第八号証は原本の存在も争いない。)原告中田梅野本人尋問の結果(但し、後記認定に反する部分は措信しない。)を総合すると、両人の間には七男四女あり(本件事故当時一男一女死亡)、修身はそのうちの四男、新制中学卒業後一時玩具製造工場に勤務していたが、訴外長谷川よね子と知り合うに至り、自宅から物を持ち出して入質したり、勤務先の金を持ち出したりしたこともあるため両親である両人も余り快い感情を抱いていなかつたこと、長谷川と知り合う以前から両親と別居していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、前述のとおり修身は死亡時満二一年七月であり、葬儀に際しては被告会社から職員が参列し、香典として金一万円、その翌日弔慰金名義で金一〇万円が両人に交付されていることは当事者間に争いない。

当裁判所は、右認定の諸般の事情及び本件事故の態様を参酌して両人の精神的苦痛を慰藉すべき金額は各金一五万円を相当と考える。

二、被告会社の抗弁について

(一)、示談解決

亡中田梅吉、原告中田梅野が被告会社主張の「香典」、「弔慰金」名義の金員を受領したことは当事者間に争いない。

ところで、何らかの事故発生後に、右の如き名義の金員が交付されることは公知の事実であり、成立に争いのない甲第三六、第三八、第四一号証をまつまでもない。そして、右のような弔慰金が交付された場合、それが当事者間において折衝の上金額を定めた等の特段の事情のない限り、被害者側遺族の感情を柔らげ、事後の交渉を円滑、円満に進めるために交付されるのであり、被害者側の損害賠償請求権を放棄せしめるものではない。殊に「香典」は死者の霊前に捧げる供物またはこれに代る金銭であり、特にそれが著るしく高額でない限り社会生活上、儀礼的なものと考えられ慰藉料の算定にあたり考慮すべきだとしても、財産的損害につきこれを斟酌すべきではない。本件の「香典」も、その金額、交付された時期、場所、更には弁論の全趣旨からそのようなものと推認でき、右認定に対する反証もないので以下「弔慰金」について判断することとする。

証人阪部貞夫(第一回)、同高尾薫、同高島英一、同村山東一郎の各証言を綜合すると、被告会社大阪支社長の右高島は本件事故発生後、それにより発生することの予想される紛争を防止すべく、修身の葬儀の翌日である昭和三二年一〇月一一日、被告会社の取引先である訴外川西倉庫株式会社の右高尾に、一〇万円程度の金員で紛争が起きないよう解決できないかを相談したところ、高尾は川西倉庫の下請業者である前記阪部の兄を介し、東亜清掃の従業員で作業について修身の監督者の立場にある阪部に右条件で解決方を依頼したこと、そこで、阪部は修身の兄亡中田誠二に被告会社から金一〇万円の交付方を申出ていることを告げると、同人及び父梅吉は相談のうえ右受領を承諾し、前同日川西倉庫事務所において梅吉が高島から右金員を受領したこと、その授受にあたり高島、阪部らはそれにより将来における本件事故による紛争を防止しようとする意図をもつていたこと、しかしその際、明示的にはその趣旨の発言のなかつたことが認められる。もつとも、前記阪部は右金員の授受に先立ち、同人が梅吉、誠二にそれは本件事故による紛争を一切解決するものである旨念を押したという趣旨の証言をしているが、右に述べたとおり同人自身はそのような意図をもち、そのつもりで発言したことは認められるが、梅吉らをそのように納得させたものとはその証言内容からしても、金額からしても、また葬儀の翌日という時期からしても、かつさきに述べたような慣習が存在することに照し、とうてい認めることはできない。被告会社は、右金額は労災保険金が給付されることを考慮すれば妥当であると主張するが、示談解決の成否は専ら亡梅吉、原告梅野の意思にかかるものであるところ、同人らが労災保険金の給付を念頭におき右金一〇万円を受領したものと認めるべき証拠がないばかりか、その受給権者は後記の如く訴外長谷川なのであるから、かかる主張は何ら根拠のないものというべきである。

以上のとおり、右金員の授受にあたり世上慣習として行われているところと異る特段の事情も認め難いので、この点に関する抗弁は採用できない。(もつとも、右香典及び弔慰金の授受が、遺族に対する慰藉料額の算定上斟酌すべき事情にあたることは前記のとおりである。)

(二)、労災保険金の給付

1、訴外長谷川が被告会社主張の労災保険金の給付を受けたことは当事者間に争いない。

労働基準法(以下労基法という。)第八四条第二項は、「使用者は、この法律による補償を行つた場合においては、同一の事由についてはその価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。」と規定しており、保険制度の目的からみて、この規定は労災保険法の規定により保険給付がなされ、これにより使用者が災害補償の責を免れた場合にも適用さるべきこと明らかである。

本件では、使用者は訴外東亜清掃であり、被告会社は労災保険法適用の関係では第三者であるが、被告会社に対し国の求償権が存する限りにおいては、被告会社は右「使用者」と同一の関係に立つものと解すべきである。

而して、右規定は法規の単純な文理解釈からすれば、使用者が労基法による災害補償をなし、または政府から被災者等に対し労災保険法による保険給付がなされたため災害補償の責を免れた場合は、その受給者が誰であれその給付された価額の範囲では、当然に民法上の損害賠償の責を免れることを定めたものと考える余地がないでもない。しかしながら、この解釈は実質的にみれば、災害補償を損害賠償の前払または内払として扱うものであり、災害補償制度の目的を没却するものである。すなわち、災害補償は、憲法第二五条に基く生存権保障のために設けられた法定の義務であり、(遺族の生活を保障することも、間接的に右目的に奉仕するものである。)労災保険法による保険制度はそれを担保するものである。従つて、災害補償制度は民法上の損害賠償制度とは本来異質的なものであり、それであるからこそ、例えば遺族補償費給付につき、それは労働力喪失に対する保護という意味で、被災労働者の得べかりし利益の相続と機能的同一性をもつに拘らず、その受給者は民法上の相続人とは別個に、主として被災労働者との生活関係の濃淡に応じその順位が法規により定められているわけである。そこで、原則としては災害補償受給の有無は、損害賠償請求権の存否とは何ら関連を有しないものというべきであるが、補償が金銭給付を本体としてなされる場合は、労働力の喪失毀損に対する損失填補的な機能を営むことを否定しえず、同様の機能を営む損害賠償と必然的に関連性を有するに至る。(右遺族補償費と被災労働者の得べかりし利益との関係もその一例。)そこで、同一の実体を有する同一権利者の損失填補を災害補償及び損害賠償の名のもとに、使用者に重復的に課するとするならば、結果的にみて不合理であり、かつ使用者にとつて酷であるから、この点を調整するのが前記労基法第八四条第二項の趣旨であると解すべきである。従つて、ある一定の資格者に対し死亡による災害補償(遺族補償)がなされた場合、その受給者が死亡者の有する損害賠償請求権を相続したときは、使用者は右受給者の相続分の限度で民法上の損害賠償義務を免れると解すべきである。しかし例え補償額が受給者の財産的損害額をこえていたとしても、その者以外の者の使用者に対する民法上の財産的損害賠償請求権の有無、範囲に影響を及ぼすことはないことになる。(最判民集一六巻四号九七五頁参照)そうであるとすると、修身の相続権を有しない内縁の妻である長谷川が労災保険金の給付を受けたことは、被告会社を右使用者と同一の関係に立つものとみても、原告らの被告会社に対する損害賠償請求権の行使に何ら影響を及ぼすものではないという結論に達せざるをえない。

しかし、右のように解すると長谷川が修身の法律上の妻でなく内縁の妻であるという事由、すなわち戸籍上の届出を欠くというだけのために、被告会社の原告らに対する損害賠償額が多くなり不合理のようにも考えられる。長谷川が修身の法律上の妻であるならば、同人は相続権をもち、修身の得べかりし利益を相続するから、それと機能的同一性をもつところの同人の受けた遺族補償費のうち、右相続分と重なり合う価額の範囲では被告会社が原告らに対し免責されることになるからである。そこで、このような場合、内縁の妻の実質上の地位に鑑み、右の関係においては法律上の妻と同視することも考えられないわけではない。しかし、そのような考え方は結果的に相続法の原則を変更するものであり、たやすく採用することはできない。法律婚主義をとるわが法制上、たまたま右の如き矛盾が生じたとしても、何らかの立法的解決が採られるまでは止むをえないところであろう。

なお、本訴で原告らが被告会社に対し請求する損害は修身の死亡による得べかりし利益の喪失額と、両親である亡梅吉、原告梅野の固有の慰藉料であり、長谷川の給付を受けた労災保険金は遺族補償費と葬祭料である。ところで、前記労基法の規定中の「同一の事由」とは、前述の趣旨からしても同一の災害から生じた損害であることを指すものではなく、災害補償の対象となつた損害と民法上の損害賠償の対象となる損害が同質同一であり、民法上の損害賠償を認めることによつて二重の填補を与えられる関係にあることを指称するものと解すべきである。そうすると、「慰藉料」は「遺族補償費」、「葬祭料」と何ら機能的に関連するところがない。災害補償は被災労働者またはその遺族の積極、消極の財産上の損失を填補するものであり、精神上の苦痛に対する慰藉を目的とするものではないからである。

従つて、労災保険金の給付は如何なる意味においても慰藉料の請求を妨げる正当な事由になりえず、慰藉料請求に対する抗弁としては、この点においても排斥を免れない。

(2) 、被告会社は本件労災保険金は亡梅吉、原告梅野が受領し、現実に取得していると主張し、原告らも右現実の援受関係を争わない。そこで、この点を如何に解すべきか検討することとする。

修身の死亡による本件の労災保険金がその内縁の妻である訴外長谷川よねを受取人として同人に宛て支給されたことは成立に争いのない乙第二、第三号証により明らかである。その現実の受領者が亡梅吉、原告梅野の両名であるとしても、このように受給権利者と異つた者が現実の給付を受領し、受給権利者がそれを知つている場合、事後に両者の間に何らかの紛争が発生しないならば、現実の受領者はその受領についての権限を与えられているものと経験則上推定できるので、その後において受領者が給付を受けた物を自己に留保したとしても、それは両者間の内部関係の問題と考えるほかない。

本件についてみるに、後述のとおり労災保険金の正当な受給権者は長谷川であり、亡梅吉、原告梅野はこれに対し何らの権原をも有していないのであるから右両名に労災保険金受領の効果が生じる理はない。他方長谷川は自己に帰属した労災保険金を自由に処分しうるわけであり、これを自己に留保するも、右両人に贈与等するも自由である。しかるところ、両人はその受領した労災保険金のうち金一〇万円のみを長谷川に交付した(残余の四三万三、三二〇円を自己らに保留した)ことは当事者間に争いなく、このことにより長谷川は少くとも両人が労災保険金を受領したことは知つていたものと推認できる。そして、その後に両者間に何らかの紛争が生じたものと認むべき証拠はないから、右両人の労災保険金の取得は長谷川との単純な内部関係に過ぎないと解すべきであり、修身の死亡とは法律上別個の原因によるものと認めざるをえない。よつて、被告会社の抗弁は失当である。

(三)、過失相殺

被告会社は修身の死亡につき、修身自身にも過失ありとして過失相殺の抗弁を主張するが、修身に過失が認められないことは前述のとおりであるので、この抗弁も理由がない。

三、結論

以上のとおり、被告会社の抗弁は何れも理由がないので、被告会社はさきに認定した修身の得べかりし利益及び亡中田梅吉、原告中田梅野の精神的な苦痛に対する慰藉料の損害賠償責任を負わざるをえないところ、原告ら主張の相続関係は当事者間に争いない。

そこで、右得べかりし利益の総額及び亡梅吉の慰藉料を原告らの相続分に応じて配分し、なお原告梅野については、同人固有の慰藉料を加えて算出した金額は主文第一掲記のとおりである。(その詳細は別紙計算表参照)

よつて、原告らの被告会社に対する本訴請求は右各金員及びそれらに対する本件事故発生後である昭和三二年一〇月一〇日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるので認容し、その余は失当であるから棄却すべく、訴訟費用については民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を各適用し、主文第一のとおり判決する。

第三、乙事件について。

一、原告が訴外長谷川にその主張にかかる労災保険金を給付したことは当事者間に争いなく、右給付は修身の死亡に起因するものであり、修身の死亡が右労災保険金給付の関係での第三者たる被告らの不法行為によることは、さきに認定したとおりである。そこで、原告が被告らに対し労災保険法第二〇条第一項の規定による求償権を取得すべき他の要件が具備されているか否かを検討する。

(一)、訴外長谷川の受給資格

原告が求償権を取得するためには、労災保険金が正当な受給資格者に給付されることがその前提となること当然であるのでこの点につき考察することとする。

1、遺族補償費

遺族補償費の受給資格者につき、労災保険法第一五条第一項は、「遺族または労働者の死亡当時その収入によつて生計を維持した者」と定めている。ところで、同法施行規則第一六条第一項によれば、遺族補償を受ける第一順位者として労働者の配偶者を挙げ、その配偶者中に婚姻の届出をしないが、事実上婚姻と同様の関係にある者を含ましめている。そこで右法と規則との関係を考えるに、さきにも述べたとおり、遺族補償は被災労動者の労働により現在及び将来の生計を維持する必要の認められる者の生活保障を目的としているので、規則は右の如き法の目的に応じ被災労働者との生活の密接さの程度に従つて受給資格者の順位を定めているわけであり、右規則の定める受給資格者に遺族補償費を支給すれば、労災保険法の意図する目的を達しうるものと考えられる。

原告は、訴外長谷川は修身と「婚姻の届出をしないが事実上婚姻と同様の関係にある者」すなわち、内縁の妻であると主張するので、以下この点につき検討することとする。

前記甲第四二号証、乙第八号証、成立に争いのない丙第七号証及び証人臼井雅蔵の証言、原告中田梅野本人尋問の結果を綜合すると、修身と長谷川は昭和三二年七月から修身死亡まで神戸市葺合区南本町五丁目四の三番地の借家で同棲していたこと、修身の両親である亡中田梅吉、原告中田梅野はそれを快く思つてはいなかつたが、特に反対もしていなかつたこと、同棲にあたり、結婚式と社会一般に認められるような儀式は行われなかつたが、しかし、修身の居住していた地域においては「結婚」にあたり何ら儀式が行われないことも珍しくないこと、修身の兄亡誠二も子供の出生後にはじめて婚姻届をなしていること、修身死亡後長谷川はしばらくの間修身の両親と同居していたことが認められ、成立に争いのない丙第六号証の記載、前記証人臼井の証言、原告梅野本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない。

右によると、修身、長谷川の婚姻の意思を推認できる外部的徴表は同棲の事実のみであり、それも約三ケ月間程度であるので、これのみによつては両人間に内縁の夫婦としての関係を認めることは多少困難ではあるが、右認定の地域社会の特殊性、修身の兄亡誠二の婚姻形体、修身死亡後の両親と長谷川との同居の事実等を併せ考えた場合、修身、長谷川の同棲は婚姻の意思のもとになされたものであり、長谷川は修身の内縁の妻、つまり「婚姻の届出をしないが、夫婦と同様の関係にある者」と認めることができる。

2、葬祭料

労災保険法第一五条第二項によると、葬祭料は葬祭を行う者に支給されることになつており、被災労働者との身分関係の如何は問題とならない。しかしながら、通常葬祭の主宰者には死亡者の配偶者(内縁を含む)がなることが経験則上明らかであり、ただ配偶者が若年であつたり、経験不足であつたりするために、その他の者が事実上代行することが間々あるに過ぎない。そうとすると、特段の事情の主張、立証がない限り、配偶者を葬祭を行う者として葬祭料を支給した処置は適法なものと推定されるところ、右特段の事情についての主張、立証はないから、長谷川は葬祭料の正当な受給資格者と認められる。

二、支給金額について。

被告らは、原告が訴外長谷川に支給した労災保険金額算定の基礎たる修身の平均賃金額を過大であると争うので、この点につき判断する。

労災保険法第一二条第一項によると、労災保険金算定の基本とすべき平均賃金額は労基法第一二条の規定に従うことになる。ところで、前述のとおり修身は日雇労働者であるから、その平均賃金額は同法同条第七項及びそれに基づく昭和二二年九月一日労働省告示第一号により算定されることになり、右諸規定に従い算出された金額を争うことは許されない。

而して、原告が右算出の根拠とした修身の死亡の日以前三ケ月間の就労日数、賃金額は弁論の全趣旨によると、前記真正に成立したものと認められる乙第一二号証の一〇ないし一八(日雇賃金支払票)によつたものであることが明らかであり、また修身の右期間中の就労日数、賃金額の詳細は、右以外には確認しえないことが推認できるので、原告がこれを採用したことには何ら不都合はない。そして、原告は右のうち、乙第一二号証の一三及び一四を算定の根拠に供していないことが、これまた弁論の全趣旨により明らかである。証人阪部貞夫の証言(第二回)にこれらを対比すれば、乙第一二号証の一三は昭和三二年八月二五日夜から翌二六日朝にかけて、同号証の一四は二六日昼間修身が就労し、それぞれ金一、七〇〇円、金八〇〇円の賃金の支払を受けたことを示すものと認められるが、原告が右算定にあたり、同一人が同一日に二度賃金の支払を受けるという特別な事例を、算定の根拠から除外したからといつて、何ら妥当性を欠くものとは認められない。被告らは、右三カ月間に修身は九日間しか就労せず、その間の賃金は合計金八、〇〇〇円に過ぎないのであるから、算出された平均賃金額は過大であると主張する。しかしながら、さきに認定したとおり、修身は訴外東亜清掃のほかに、訴外木下商店等にも就労し、相当額の収入を挙げていたのであり、そのうちの就労日、賃金額の確認しうるものをもつて平均賃金額算定の根拠にした原告の措置は相当と解せられる。

そこで、右確認しうる賃金額、就労日数を基礎として、前記諸規定に従い労災保険金額を算出すれば、請求原因記載の金額は正当であると認められるので、(もつとも、正確には平均賃金額は五三三円三三銭で、遺族補償費は金五三万三、三三〇円となる。)被告らがこれを争うことは許されないといわざるをえない。

三、訴外長谷川の被告らに対する損害賠償請求権

以上のとおり、原告の訴外長谷川に対する労災保険金の給付は正当であり、被告らがその効力を争うことは許されないが、原告が被告らに対し、労災保険法第二〇条による求償権を取得するためには、長谷川が被告らに対し損害賠償請求権を有することが必要である。原告は同人は被告らに対し、(一)扶養請求権侵害による損害、(二)葬祭料の各賠償請求権を有すると主張するので、以下順次検討する。

(一)、扶養請求権の侵害

一般にある者が他人の不法行為により死亡した場合、遺族等が不法行為者に対し扶養請求権侵害による損害賠償請求権を取得しうるためには、被害者において扶養可能状態にあり遺族等の側においては自己の資産または労務によつて生活しえないという要扶養状態が必要であると解されている。そして、それが夫婦間の場合にあつては、一方(主として夫)の死亡が発生すると、他方(主として妻)は、その死亡と同時に加害者に対する被害者の得べかりし利益等の損害賠償請求権を相続することにより、要扶養状態が解消するため、扶養請求権の侵害を云々する余地がないとされる。ところが、内縁の夫婦の場合にあつては相続という事態が発生しないから扶養請求権侵害の有無が問題とならざるをえない。

民法第七五二条は夫婦相互間の扶助義務を規定し、それは親族間の扶養義務とも本質的に異り、それに優先するものと解せられている。そして、これは婚姻の届出の有無に拘らず、夫婦たる実質を有する者の間にあつては、条理上当然認められなければならない義務とされる。

そこで、内縁の夫婦の場合にも、夫婦間にはこのような義務があるのに、夫が死亡したとき、妻が職をもち、自己の生活を維持しうる状態にあつたという理由で、妻の扶養請求権の侵害はないと単純に割切つてよいかは問題である。通常、妻が婚姻後、働きうる期間は婚姻生活の長きに比較し極めて短期間である。それにも拘らず、たまたま夫死亡のとき妻が自己の労務によつて生活を維持していた場合は、将来長期間にわたる扶養(扶助)請求権がないとしたら、如何にも不合理のように考えられる。しかしながら、扶養請求権なるものはあくまでも具体的な権利であり、抽象的なものではない。

ただ、右の要扶養状態を余り厳格に解すべきではなく、将来のある一定時には、そのような状態が現出する確実な予見が可能な場合等も含めるべきであり、また被害者死亡の際は厳格な意味では要扶養状態にはないが、その後やむをえない事情によりそのような事態が発生した場合も、扶養請求権の侵害による損害賠償請求を認めてもよいのではなかろうか。後者の場合には原因の発生時と結果たる損害の発生時とが一致しないことになるが、抽象的意味においては、被害者の死亡により夫婦間の扶助(扶養)請求権が侵害されているわけであるが、それを価額に算定することはできず、それが後になつて具体化するものと考え得るからである。(もとより消滅時効等の問題は別論である。)

そこで本件につき考えてみるに、前記乙第八号証、原告中田梅野本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、訴外長谷川は修身死亡時、更には後記大佐田裕己と内縁関係が生ずるまで、引続きゴム会社に勤務していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、長谷川は少くとも自己の生活を維持するに足る収入は挙げていたことが経験則上推認されるので、同人は要扶養状態にはなく、具体的な扶養請求権の侵害はなかつたものと認めるほかない。また、成立に争いのない乙第一三ないし第一五号証によると、同人はその後大佐田裕己と同居、内縁関係を生じその後昭和三六年一二月五日正式に婚姻したことが認められるから、これにより同人は修身に対する扶養請求権が具体化する可能性も消滅したことになる。

従つて、その余の点につき判断するまでもなく、長谷川の扶養請求権の侵害を前提とする原告の本訴請求部分は失当として排斥を免れない。

(二)、葬祭料

他人の不法行為によつて死亡した者の遺族が、葬儀を行うことは社会慣習上当然であり、その葬祭料を支出した者は、右葬祭料が身分相応の葬儀を営むに要する範囲である限り、不法行為者に対しその賠償を請求しうるものと解される。

本件についてみるに、前述のとおり、修身の葬儀が例え表面上はその両親の手で営まれたようにみえたとしても、その主宰者は訴外長谷川であり、葬祭料は主宰者が負担したと考うべきところ、他に反証はない。そして、労災保険法により給付される葬祭料は、法律そのものの性格からしても、最低額のものと解せられ、身分不相応な葬儀を営むに足るものとはとうてい考えられず、長谷川は不法行為者である被告らに対し、少くとも右給付された葬祭料相当額の損害賠償を求めうる筈であつたと解すべきである。

以上述べたところにより、原告は長谷川に給付した労災保険金のうち、葬祭料については長谷川が被告らに対し、その賠償請求権を有するのであるから、これを同人に代つて請求することができるが、遺族補償費については、長谷川が被告らに対し有せねばならない損害賠償請求権が認められず、原告の求償権も発生しない。

五、結論

以上の理由により、原告の被告らに対する本訴請求は、原告が訴外長谷川に給付した労災保険金のうち、葬祭料相当額及びそれに対する右給付後の昭和三二年一二月一二日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分に限り正当であるので認容すべきところ、右支払に関する被告ら相互の関係は不真正連帯債務関係であるから、各自その支払の責に任ぜねばならない。そして、その余の原告の請求は失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条を適用して主文第二のとおり判決する。

(裁判官 原田久太郎 林田益太郎 尾方滋)

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